最近は明治一分銀も状態の良い物がとても少なくなってきたように思います。明治一分銀と称されている(逆桜が明治の位置にある)ものでも、そのほとんどは別座です。明治一分銀が天保一分銀、安政一分銀と比べて難しいのは、どこまでが本座でどこまでが別座か、が微妙でなかなか難しいからです。
江戸時代は、銀座で製作されたものが本座、銀座以外で製作された(いわゆる藩鋳)が別座、と極めて明確ではっきりしています。明治一分銀の場合は、東京の貨幣司(慶応4年7月から明治元年12月)と大阪の長堀支署(慶応4年から明治2年2月)で製作された一分銀が本座ということになるのでしょうが、どの一分銀がそれにあたるのかが明確ではないわけです。平成10年に丹野氏によって開封された『太政官貨幣司包み25両』の調査報告によって、ようやく東京の貨幣司で製作された本座の明治一分銀がほぼ確定した、という感じですが、長堀支署で製作された明治一分銀に関しては難航しているのが実情ではないでしょうか。その2ヵ所以外で製作された明治一分銀は別座ということになるのですが、多種多様でこれらを体系的に整理することはほとんど不可能だと思われます。
今回ご紹介する明治一分銀Hbは間違いのない東京の貨幣司で製作された本座の一分銀で、完全未使用品と言って差し支えない非常に美しい明治一分銀です。Hbは明治一分銀の中では比較的数の多い廉価判ですが、大変美しく気に入っています。"雨降り"が無ければ完璧ですが、なかなかそうはうまくいきません。額縁の中の肌は明治一分銀とは思えないほどの"キメの細かさ"です。
面Hの書体は明治一分銀の基本中の基本です。この書体(半欠金・横斜点・長柱銀)が東京の貨幣司の一分銀だと思っています。よく似ているものに、半欠金ではなく"正金"のもの、横斜点ではなく"両斜点"のものが存在します。その部分以外はほとんど同じ書体ですが、これらが東京の貨幣司製かどうか私にはわかりません。ただ、よく書体を観察すると、"正金"のものは"分"と"銀"の字がやや幅広なものが多く、文字にやや"張り"がないように感じます。それに対して、"半欠金"のものは幅が狭く、スリムで文字に"張り"と"気品"があるように感じますが、単に好みの問題かもしれません。
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