先日、念願の上州鉛銭(二十四文・吉市堀吉)を初めて手に入れました。日本では鉛が通貨に使用されることはほとんどありません。この上州鉛銭を除くと、皇朝銭の延喜通寶と乾元大寶の中に、70%~80%が鉛でできている鉛銭が存在します。それと米沢藩の生産局鉛銭(丸型と角型)、仙台藩の細倉当百くらいのものではないでしょうか。それぞれに魅力がある鉛銭ですが、上州鉛銭は特に私の興味を引きました。
上州鉛銭は幕末から明治初期にかけて上州(現在の群馬県)渋川を中心とした地域で発行されました。発行の経緯はひとえに"銭不足"ということになります。額面は二十四文と十六文が中心ですが、これは当時行われていた"九六勘定"(一文銭96枚で100文で通用させる)がもとになっています。上州鉛銭が圧倒的に面白いのは、貨幣に『個人の名前や屋号』が入っているものがある、という点です。他にそんな貨幣があるでしょうか?
上州鉛銭の中で、最も古く誕生したと推定されるのが今回入手した"吉市堀吉"で、二十四文の他に十六文も存在します。"吉市"とは吉田市左衛門のことで、"堀吉"とは堀口吉右衛門のことです。この鉛銭がいつ発行されたのか、それをはっきり示す証拠はありません。ただ、調べてみると、吉田市左衛門が明治6年に59歳で亡くなり、堀口吉右衛門が嘉永4年に25歳で亡くなっていることを考えれば、この2人が共同で発行した"吉市堀吉"鉛銭の誕生日もある程度の幅で推定できるのではないでしょうか?こんなことを調べていると、とてもわくわくした気分になります。
上州鉛銭は"價二十四文・豊彦"(豊彦は屋号の豊嶋屋、名の彦四郎、を略したもの)や"二十四文売・今善"(今善は今井善兵衛の略)など、実に多種多様なものが発行されています。いずれも希少なもので、なかなか集められるものではなさそうですが、機会があれば何枚かは入手してみたいと思っています。
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