私のお気に入りの一品 (5)

 文久2年(1862年)は日本にとって外患内憂の大変な時期でした。秋田・久保田藩でも経済的行き詰まりは深刻だったと思われます。この年、秋田・久保田藩では、秋田銀判や封銀などの銀貨と当百銭・当五十銭が領内通用として相次いで発行されました。

 今回御紹介する私のお気に入りの一品は"銅山至宝 当五十"です。面には『銅山至宝』の4文字、背には『久二』と『五十』の4文字があります。『久二』は文久二年(1862年)を、『五十』は50文通用を表していますが、『久』は久保田藩の久である、と言っておられる方もいます。この銅山至宝は縦約43㎜、横約33㎜で、量目は約30.5gです。鉛の割合が高く20%~30%が鉛、残りが銅と言われており、ゆえに銭文が明瞭なものが少ないです。その中では比較的銭文が明瞭で、全体的に薄いピンク色をしたこの銅山至宝を大変気に入っております。"秋"刻印も非常に明瞭です。

 秋田・久保田藩の銅銭発行の順番は、この銅山至宝 当五十 ➡ 銅山至寶 当百 ➡ 波銭 ➡ 鍔銭 、と言われています。ですから、銅山至宝 当五十は久保田藩が最初に発行した記念すべき銅銭、ということになります。

 元秋田貨幣研究会会長・大西良彦氏の私見よると、久保田藩が発行した銅銭の現存数は、少ない方から銅山至宝 当五十、波銭、銅山至寶 当百、鍔銭、の順だそうです。百分率で表現すれば、銅山至宝 当五十 (8%) 、波銭 (12%) 、銅山至寶 当百 (20%) 、鍔銭 (60%) 、と圧倒的に鍔銭が多いのだそうです。この数字は1983年1月号のボナンザに掲載されている記事を引用させていただきましたが、現在はどうなのでしょうか。現在、価格は銅山至寶 当百の方が銅山至宝 当五十より高いと思いますが、記事の時代以降に当五十がかなり出てきたのかもしれません。それとも、もしかすると、当五十は隠れた珍品なのかもしれません。